今日の授業ではサリドマイドの薬害事件について扱いました。
サリドマイド事件は私たちが考えなくてはならない重要な事件です。
日本国内で起きた薬害事象として非常に有名であり、二度と同じような事件を起こしてはならないとされています。
現在でも被害者の方が生きており、生活上、精神面上で様々な支障があるようです。
私が薬学関係者として生きていくために、サリドマイド事件についてまとめました。
サリドマイド事件の概要
皆さんはサリドマイドという薬について知っていますか。
サリドマイドは1957年にドイツの製薬会社グリュネンタール社によってはじめて合成され、コルテガンという薬で販売され始めました。
この薬は、睡眠薬、精神安定薬であり、薬効発現時間が短く効き目も良いことからすぐに普及し、国内、欧米、世界へと広まり日本にも開発方法が伝わっています。
この薬は妊婦のつわりに対しても用いられ、医師の処方箋をもらわずに手に入れることができるため、より多くの人に広まっていきました。
妊娠中には耐えがたい激痛に襲われ、夜にしっかりと眠ることができないという女性が多かったようです。
日本では1年後に大日本製薬が独自にサリドマイド製剤の合成方法を開発し、イソミンという名前で販売を始めました。
当時の日本では、海外で普及している薬は安全検査をしなくても使って大丈夫であるという風潮があったため、そのまま新薬として認定されてしまっていました。
今から考えると、臨床試験をしていない薬をそのまま販売してしまうということがどれほど危険であるか想像できます。
ほんの60年前にはそれがまかり通っていたと考えると非常に恐ろしいですね。
サリドマイドの自主回収
1961年、ドイツのレンツという学者がサリドマイドの催奇性を報告しました。
コルテガンとして発売されてから4年後のことです。
これによりグリュネンタール社はすぐにコルテガンを回収し始め、世界でも自主回収の流れが広まりました。
しかし、日本では、サリドマイドと催奇性の直接的な関連性を調査するのに時間がかかり、さらには市場に出回るサリドマイド製剤を回収するのが遅れてしまっています。
また、当時の日本では、服用者に対しての情報提供が不十分であり、回収の知らせが届くのが遅れたため、さらに大きな被害を引き起こしました。
もっと日本政府や製薬企業の対応が早ければ被害を小さくできたかもしれないのにと強く思います。
サリドマイドの被害
サリドマイド製剤を服用していた妊婦から生まれた胎児には様々な障害がみられました。
例としては、手足が奇形になったり、体内の臓器の配置が変形してしまったり、難聴などの障害がみられました。
また、外見からではサリドマイドの薬害と判断できない人々は薬害被害者としての認定が遅れたり、他者とうまく人間関係が作れなかったりという二次的な被害を受けたそうです。
今後の薬学従事者が考えなくてはならないこと
私たちが考えておかなくてはならないことは2つの視点があると思います。
薬を検査する者
薬物合成
合成する段階ではラセミ体を避け単一の立体にすることが必要であると考えられ、サリドマイドのように合成段階では予測できない副作用の原因を作らないような合成ルートを計画することが必要であると考えられます。
もちろん、ラセミ体を避けるルートを考えることは、ルートが長くなってしまったり、コストがかかることが考えられますが、人の命には代えられないということを意識して、より良いルート開発を目指すべきであると思います。
薬物監査
また、薬を検査する者の立場では、海外で売られているからその安全は保障済みであるという安易な発想をせずに、毒性検査、動物検査、動態検査などを行うことが必要です。
また日本国内で販売されている薬に対しても一定の期間ごとに検査を行い、新たな副作用は出ていないかを確認することも必要であると思います。
まとめ
今回はサリドマイドの薬物被害についての課題を考えてきました。
もちろん、私一人だけではどうすることもできませんが、この記事を書くことで少しでも薬害に関する知識が広まれば嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。